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【能登半島地震の記録】災害時避難の入門的知識

【減災】災害時避難の入門的知識

ここ数年、冬場は室温7度〜14度くらいという寒い家、というかほぼ外と同じような築50年以上の物件に住んでいます。ですので冬場は修行のような生活を送っていますが、この生活が成り立つのも電気や水というインフラがあってのものです。

近年は電気代が高いため、節電のために暖房はホットカーペットと一人用コタツ、エアコンを併用して何とか過ごしています。冬場このような寒い生活を過ごしていると、2024年1月1日の元旦に発生した、能登半島地震の被災者が避難所の体育館など、寒いところでインフラがない状態で過ごす過酷な状況を痛感します。

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被災時、初期の避難所でのインタビューで床が氷のように寒い、というのも痛い程理解できます。うちも冬場の床の上に長時間いると冷たいを通り越して痛くなるくらい冷たいのです。

今後日本で予想される巨大地震が起こると、それが南海トラフ巨大地震なのか、首都直下型地震が先なのか?は不明ですが、南海トラフ巨大地震が起こった場合、被害に合う人口は6000万人、日本人の2人に1人が被害に合うという試算が出ています。

南海トラフ巨大地震で日本はどうなるのか?

私は自分が被災しないとは到底思えないため、被災する前提で、もし自分が被災して幸い生き残り、避難所に行くことになった場合、どのような状況になるのか?を、今回の能登半島地震を教訓として、考えてみたいと思います。

一時避難所

震災で被災し、津波や地震の被害を免れた人たちが次に向かう所が一時避難所です。多くの場合、地域の小学校、中学校などの体育館、公民館などの施設に集団で一時避難することになります。

避難所がいっぱいで入れない場合など、避難所には入れないというケースであれば、損壊した自宅や車での自主避難が強いられます。自主避難の場合は、物資が供給されて来ませんので、最寄りの避難所に通う必要があります。

今回の能登半島地震のケースでは、地域の被害の状況によって、例えば被災した地域のホテルや宿が被災を間逃れた場合、避難所として提供してくれるところもあったようです。

インフラが整ってるかは分かりませんが、ホテルや宿での避難では、家族単位などでプライベートが守られた空間で避難生活を送ることができます。しかし、こればっかりは運次第ですので、多くの人は地域の決められた一時避難所に集団避難となります。

避難生活で最も辛いのがインフラがないこと

避難所での生活で最も辛いのが、インフラが復旧するまでは耐えるしかないことです。今回の能登半島地震では、1月という冬の寒さもあり、避難先での防寒対策、水がないため手洗いができない、トイレを流せないということで、コロナウイルス、インフルエンザ、ノロウイルスなどにかかってしまうという人が、時間の経過と共に出てきていました。

また、震災から6日後には、遂に低体温症で1名の老人の方が亡くなるということも起きてしまいました。まとめると、避難所生活で厳しいのは以下の点です。

・生活インフラ (電気・水) が使えない
・冬場であれば暖を取れない、夏場であれば暑くてたまらない
・手洗いができない
・歯磨きができない
・トイレが流せない
・お風呂に入れない

避難所によっては、段階的に水が手に入るようになり、歯磨きができるようになったり、近くの銭湯などが無料で解放 (チケット制) されるなどして、お風呂に入れたりしますが、被災地域や被災者によっては、震災後1週間お風呂に入れていないという高齢者の方もいました。

この高齢者の方は、自分が要介護を受けており、お風呂に入るには、付き添いの人がいないと入れないということで、その付き添いの人 (ヘルパー) が足りずにお風呂に入れていないということでした。

このように避難所生活では、生活インフラがない状態で過ごさなければいけないので、かなりしんどいと思います。他にも、避難所生活では、いきなり大世帯で老若男女問わず、大勢で寝たり起きたり避難生活が始まりますので、音が気になる、匂いが気になるなど、些細な問題が多くあると思いますので、繊細な人には厳しいかもしれません。

参考になる体験はあるか?

避難所の生活で、何か参考になる体験はあるのでしょうか?私の場合、昔参加したフジロックフェスティバルが少し参考になるかもしれません。当時私は、フジロックに急遽一人参戦することを決め、その関係で旅館の大部屋で雑魚寝スタイルで泊まるというプランに申し込みました。

フジロック当日、旅館に向かうと、旅館の大部屋というか体育館みたいなところに案内され、布団が並べられており、体育館の前方には業務用の大型扇風機が2台回転していました。

フジロックは7月の下旬に開催されますので、新潟の現地は30度前後とまあまあ暑いです。この時は、こんなとこで寝起きするのかよ!?と若干衝撃でしたが、過ぎてしまえば非常に良い思い出であり、一つの経験値となります。

勿論、電気も水もありましたので、避難所生活とは異なりますが、このような経験があるとイメージしやすいのかもしれません。

またフジロック会場の仮設トイレも、私が行った当時は自分でポンプを踏んで流すタイプの仮設トイレのため、世界で最もクリーンなフェスと言えども、真夏ということもあり、仮設トイレの中はかなり耐え難いものです。

しかし海外のフェス、例えばグラストンベリーの仮設トイレに比べれば天と地の差だと思います。多分海外フェスの仮設トイレは、相当ヤバいと思います。もし海外フェスの仮設トイレを経験したことがある人であれば、災害時のトイレ問題も想定できるものだと思います。

最低の状況で、どのくらい耐える必要があるのか?

今回の能登半島地震の場合は、震災から1週間後の2024年1月8日からインフラの整った (暖房、水のある) 金沢市のいしかわ総合スポーツセンターが被災者の一時的収容を開始しました。

また、避難所となっている小学校や役場施設に仮説トイレが届くようになりました。しかし仮説トイレも和式の場合、しゃがんでする必要があり、高齢者など足腰が悪い老人には危なくて使えないというようなケースもあるようです。仮設トレイには、和式と洋式のタイプがそれぞれあるようです。

避難所でも、1週間経ってようやく一部物資が届くようになったり、仮設トイレの環境が少しは整ってきたり、一部地域では水が復旧 (と言っても飲めない) するなど、僅かに改善の兆しが見え始めました。

金沢市のいしかわ総合スポーツセンターは、2024年1月8日に高齢者や女性を対象にした被災者を一時的に収容する「1・5次避難所」を開始したのですが、この日は大雪のために受け入れが一部見送られたと言います。

今回の能登半島地震は、地面が約4m隆起したことが伝えられており、極めて異例な現象が起きたとされるくらい、余震や積雪とも相まって被害状況が全然掴めていないのが現状です。

また今回の地震では、津波への警告が叫ばれました。災害当時に、NHK山内泉アナウンサーのプロのアナウンス (私はプロの仕事だと感じました) が話題となったように、震災時予想されていた津波は5mの大津波警報でしたが、実際に到来したのは1.2mの津波計測でした。これと地面の隆起に関係があるのであれば、本来はそれ以上の津波が押し寄せていたということなのでしょうか?

避難形態

まず避難所には、一時避難、1.5次避難所、二次避難所というものがあります。大多数の人は、一時避難所とされる地域の指定避難所 (学校の体育館など) に避難することになります。ケースバイで、一次避難所ではなく、そのまま二次避難所であるホテルや宿泊施設に避難できることもあります。

・一時避難所 (地域で定められた、小学校、中学校などの体育館、公民館など)

・1.5次避難所 (インフラとプライベートな仕切りやテントが整ったスポーツセンターなど)

・二次避難所 (被災していない地域のホテルや旅館が活用される)

災害の度合いにもよりますが、多くのケースで地震などによって生活インフラが使えなくなることが想定されます。その場合、一時避難所では生活インフラが整っていない状況で生き延びねばなりません。

2024年の能登半島地震では、地震から1週間経ってようやくインフラの整った1.5次避難所が開設され、高齢者と女性を対象にした受け入れが開始されました。1.5次避難所は、インフラが整っていますので、暖かく水もありますので、トイレなどの心配も幾分かは良くなるはずです。

そして色々と準備が整ってくると、二次避難所として、被災地以外のホテルや旅館を活用する取り組みが開始されます。地域によっては、一時避難所にいくことなく、いきないホテルや旅館を活用できる、というケースもあるようですが、住んでる地域や運に左右されるものだと思います。

このように避難所への避難も、一時避難所→1.5次避難所→二次避難所というように、時間の経過と共に進んでいくものだと思います。スマホなどを持った若い人であれば、このような周辺情報をいち早く収集し、一時避難所からもっと環境の良い避難先に移動することになるものだと思います。

ペットを飼ってる場合の避難はどうなるのか?

一時避難所での避難生活をしている、ある被災者の姉妹は、ペットの犬を仕方なく家に置いてきたと言います。避難所には持ってくることができず、泣きながら半壊した家に仕方なく置いてきたことを話していました。

猫を飼っている人のケースでは、猫も同じく避難所には持っていけないため、車を持っている人は、車中泊をしながら猫にネットを被せて車の中で一時避難という形を取っている人もいました。

また孤立地区で、地区全体でヘリコプターと自衛隊機を乗り継いでインフラの整った避難所に移動した人の中には、おばあさんが白い猫を抱っこしてる姿がありました。この猫ちゃんは、ヘリコプターと自衛隊機を乗り継いで避難してきたのでしょうか?本当に良く頑張ったと思います。

過去の災害時のケースでは、避難所によっては、決まったスペースにペットケースに入れた (ペットケースにトイレシートを敷いて) 状態で置くことができたと思いますが、なかなか動物にとっては耐えがたいものだと思います。

目指せ二次避難所

一時避難所に避難している、ある老人のおじいさんが「避難所を出ていってくれ、と言われるまで避難所に居させて欲しい」という発言が報道されていましたが、この認識は間違えであり、できるだけ早く一時避難所を出て、二次避難所に行くというのが正解ではないか、と思います。

このおじいさんは家が全壊で帰る家もないため、もう避難所しかないという認識のようですが、一時避難所は集団避難ということもあり、良く眠れないとか、感染症のリスクなどがあると思います。

人によっては、地域の知ってる人がいるので、みんなでいた方が心強い、という人もいるのかもしれませんが、大多数の人にとって、まずは一時避難所での生活を何とかやり過ごし、チャンスを見つけて二次避難所に移るのが、次の一手に繋がるものだと思います。

災害時に役立つ取り組み

今回の能登半島地震で、被災者の間で役に立った取り組みには、以下のようなものがあります。

名古屋工業大学北川教授のインスタントハウス

ニュースやソーシャネルメディアで話題となったのが、名古屋工業大学北川教授のインスタントハウスです。このインスタントハウスには、断熱材でできた外用 (確か15万くらい) と内用のダンボールハウス (1.5万くらい) があります。

宇宙インターネット Starlink (スターリンク)

世界中の災害や戦争で役立っているのが、イーロン・マスク率いる SpaceX が手掛ける宇宙衛星通信の Starlink (スターリンク) です。Starlink を設置すれば、インフラが壊れても宇宙の衛星を通じてインターネット接続が可能になります。

災害時の断水等を乗り越える WOTA BOX

コンポストトイレ

コンポストトイレも初期避難の際には、非常に役に立つのではないかと思います。このようなコンポストトイレを避難所や地域単位で用意しておくことで、もしもの時に役立ちます。

トイレトレーラー

サンドイッチマンの伊達さんも1台寄付したことで話題となったトイレトレーラーも大活躍しています。とにかく被災地の避難所で役立つのは、電気、水、プライベートな空間、トイレ、通信などのインフラ関連のものです。もちろん、その陰には、全国から支援に駆けつけてくれる有志の存在を忘れてはいけません。

地震大国日本に暮らす以上、減災意識を持つ

今回、なぜこのような記事を書いたか?というと、今後起こりうる巨大地震が来た際に、日本人の2人に1人が被災する可能性があるからです。良く震災や洪水などで、現地を取材したニュースで被災された方がインタビューで、「まさか自分が被災するとは思わなかった …」というお決まりのセリフがありますが、正に明日のあなたかもしれないのです。

また、地震大国日本、足元から揺らされてしまう日本で生活する以上、地震のサイクルや地質学について、最低知っておく必要があると思います。日本に住む以上、減災知識を持つ必要があると考えます。

現在の地球環境は、気候危機の影響もあり、暑いか寒いか、のように極端な気候になっています。冬に被災すれば寒さに震えることになるでしょうし、夏に被災すれば暑くてたまらないと思います。

この記事の目的は、もしあなたが被災した場合、被災者に待ち受けている避難生活を少しでもイメージできればと思います。3.11 も地震や津波を生き延びたのに、災害関連死が非常に多かったことを記憶しています。

特に少子高齢化が世界で一番進行している日本にとって、今後高齢者はもっと増えることが予想されます。大きな地震がいつ起きるのか?ということは厳密には予想できませんが、地震に準備することは今からでもできます。

地震が予想できないなら、準備に備える

予測よりも備えへの投資、準備への投資というアプローチ

投資をやっていると、「準備に投資する」という優れた概念があります。地震が何年何月何日に起きるのか予想できないのと同じように、市場の暴落も予測できません。そうであれな、その暴落に備えて準備に投資することはできるのです。

地震も同じで、何月何日に巨大地震が起こるとは予想できませんが、地震のサイクル、地質学のアプローチから、例えば巨大地震は100年に1回というスパンで起きていると言われています。

現在日本で危惧されている巨大地震は、南海トラフ巨大地震です。地質学者は、この地震が2030年+-5年のうち、つまり2025年〜2035年のうちに起こるとされています。

【大地震】養老さんから日本に住む全ての人へのメッセージ

地震は予想できない以上、地震が起こる前提で、今世紀に生きる私たちは準備を始める必要があるのです。

リスクとは、すべてを考え尽くしたと思ったときに残るものだ

金融アドバイザーのカール・リチャーズの名言があります。「リスクとは、すべてを考え尽くしたと思ったときに残るものだ。」だから、あなたは自分の人生や経済における未来を見ようとする。

しかし、人生におけるすべてのリスクについて考えた後、あなたが考えていないこと、そのリストに載っていないことが、実際に最も大きなダメージを与えることになる。リストに載っていれば、何らかの方法で軽減できているはずだからだ。

では、リスクとはすべてを考え尽くした後に残るものであるという事実を踏まえて、私たちはリスクに対して何ができるのか?リスクと私たちの関係はどうあるべきか?人々はニヒリスティックになり、リスクをまったく気にしなくなるのだろうか?

過度にリスクを回避し、物事に近づかないようにするのか?リスクとあなたの関係は?この2つの間にはある程度のバランスがあると思う。あなたの質問に対する正直な答えは、世界はリスキーであり、常にリスキーであり続ける。

世界は通常10年に1度壊れる

そして、もうひとつ認識しておくべきことは、世界は通常10年に1度、正確な時間軸ではないが、ほぼ10年に1度壊れるということだ。私が言ったように、人々が目を覚まし、世界は以前とは違うと言うような大きな出来事がある。

貯蓄があなたを賢くするその時期に、あなたは10年間、うずくまるような額の貯蓄に手をつけなければならないかもしれない。幸福の第一法則は、期待を低くすることである。

なぜか?なぜなら、人生から得られる幸福や喜びはすべて、あなたの期待と状況とのギャップにすぎないからだ。思い出して頂きたい。3.11 東日本大震災の後に、結婚率が上がったことを。

大きな災害に見舞われると、人々は何気ない普段の生活がどんなに尊いものだったのか?と回想する。しかし時が経てば、人によってはまた普段の欲望に突き動かされた生活、人と比較した生活に戻ってしまう。

人々の感情、人間社会と地震は、この繰り返しなのではないだろうか。

サイクルの世界で生きる

私たちはある種のサイクルの世界で生きています。相場や歴史、世代にサイクルがあるように、地震にもサイクルがあります。そのサイクルの大局観を捉えることが大切です。

地震によって全てが破壊された場合、次は再生しかありません。その間も余震や地震に悩まされるかもしれませんが、日本に住んでいる以上、地震から逃れることはできないのです。私たちが地震に対して唯一取れるアプローチは、減災の意識を常に持つこと、地震のサイクルを捉えて準備に備えること、しっかりと地に足をつけて生きることです。

地に足がついてないミーハーな人は、最初に翻弄されるものだと思います。物事には上下のサイクルがあり、これは自然の摂理として受け入れるしかありません。

人々は新しいものを追いかけますが、サイクリストは変わらないものに目を向けます。山田洋次監督の映画『男はつらいよ』で、渥美清演じる寅さんに、「調子はどうだい?」と聞くと、寅さんは決まって「地道な暮らしよ!」と返します。私はこの返事に元来の日本人の哲学を感じます。