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【大地震】養老さんから日本に住む全ての人へのメッセージ

【大地震】養老さんから日本に住む全ての人へのメッセージ

2022年6月11日 (土) の朝に何となくついていたラジオから養老孟司さんの日本に対する大局観的なお話が聞こえてきたので、全ての意識を耳に傾け、じっとお話を伺っていました。今年聞いたお話の中でも BEST 3 に入るくらい重要なお話だったので、ラジオの聴き逃しを何度も聴きながら文字起こしをしました。

日本は足元から揺さぶられる国

日本は国土的にも足下から揺さぶられてしまう国です。地震に対しては国民全員が認識し、リスクヘッジを考慮するべきです。養老さんの大地震、南海トラフについての見解、大局観は日本に住む全ての人が耳を傾けるべき話だと思います。

そしてその時と、その先のことを今から考える必要があると思います。以下は2022年6月11日の NHK のラジオ『マイあさ!』土曜6時台後半に放送された「サタデーエッセー・養老孟司(解剖学者)」の文字起こしになります。

養老さんは自身のオフィシャル YouTube チャンネルでも、今年の4月に『大地震への警告』として前編/後編の動画も公開していますので、こちらも視聴してみて下さい。こちらの動画よりも、ラジオで語っていた内容の方がかなりメッセージ性が強く、大変考えさせられる内容になっています。

サタデーエッセー・養老孟司 (2022年6月11日NHKラジオ)

日常性の破壊

コロナと、このウクライナの戦争の共通点というか、根本は何かということを考えたんですけど、それはやっぱり日常性が壊れる、日常性の破壊ですね。普段に、ふつうにしていると、今日昨日のつづき、明日は今日のつづきっていう、平穏的なものが壊れるんですね。コロナの場合自然災害と言っていいと思いますけど、戦争は典型的に人が起こす日常性の破壊ですね。

迫りくる大地震に備える

こういう日常性が壊れるっていうことが、いつどういう風に起こるのかってある程度予想ができるものがあるのかってことを考えたわけ。日本の場合、現代の日本の社会の場合ものすごいはっきりしているのが、所謂南海トラフの地震ですね。もう様々な情報が流れていて、しかも研究者によりますけれども、年度までかなりはっきり指定されています。いつ頃起こるかって言うと2040年に至るまで。つく言う人は38年から40年の間。38年って言うともう16年しかない。

南海トラフは東日本大震災の10倍の被害

その時に何が起こって、どのくらいの被害があるのかというのも出ていますが、大体東北の震災の10倍ぐらいの。僕はこの話をする前に、内閣府の地震のシミレーションまで見ちゃったんですけど。気が重いんですね。そこまでは非常に良くみなさん考えておられんですが、私が今日お話しようと思ったのは、その先の話なんです。

大震災後の復興を考える

つまりそれだけの大きなことが起こった後の社会ってどうなるんだろう?そこはもう殆ど触れてないですね皆さん。書かれたもので私が良く知ってるのが、イギリス人のデービッド・アトキンソンがですね、何かのエッセイに書いていたのですが、東南海地震が来ることはもうはっきり分かっていると、それによる被害の額も大体計算できる。そのときに復興するために当然お金がいるだろうと。

そのお金を誰が出すかって問題を彼は議論してる。彼はお金の専門家ですから、ゴールドマンサックスの東京支社長を務めていた人ですから、そのときに政府が自分で出せるとは限らない。お金を借りる、出してもらうということが起こると思うんですけど、現代の世界の情勢を考えると、そのときにまとまったお金を出せるのは多分中国だけだろうと予想を出してる。

大震災は常に日本の転換点

大きな災害を考えると、その後例えば誰からお金を借りるか?ってことはかなり大きな問題となる。日本の将来に影響するじゃないか?と。そんなことを考えるわけ。それで良く考えないといけないと思うのは、こういう風な大きな災害が起こった後に、みなさんの意見・気持ちが変わるってことですね。

震災のことしか触れられてない、その時どうする?ってことしか触れられていないのは、ある意味では当然なんで、そういう状況を生き抜いた後、あるいはそういう状況を見てしまった人たちがその後どう考えるか?っていうのは、その後になってみないと分からない。人の気持ちがどう動くかっていうのは。誰でも良いから金出してくれってなるのか?

震災後どういう風な社会像を理想としていくか?

その時でも、将来のことを踏まえてこんな風にしていくべきじゃないか?っていう風な議論がなされているかというと、おそらくやってない。それはその時の状況見てみないと分かりません、っていうことだと思うですね。でもその時の状況無関係に考えて良いことは沢山あると思う。つまり、震災後も日本もどういう風な社会像を理想として追っかけていくかということがないと、さっきから言ってる、どこからお金を借りるか?とかですね、どんなことに使うか?っていうことの大枠が決まってない。

そうすると、多分普通に起こる反応としては、背に腹は変えられないからとりとりあえずお金出してもらっとけって。そうなる可能性が私は高いだろうと思ってる。そのときにそれはまずいよってそのときの議論でいくことかっていう風に思うと、今からそういうことを考えても遅くはない。こういうことは私の専門でも何でもないんですけど、一つその震災後の気持ちってことで僕は前から思っていたことがあるのは、関東大震災は首都東京で起こったわけ。

それであれだけの惨害というか被害を、政府養老の人はみんな見てしまったわけですね、自分の目で。それはかなりの影響を気持ちの上で与えたんじゃないか。これは私の想像ですけど、どういう影響だったかというと、まああのくらいのことはあり得ると。極端に言えば平気だと。それから後の手の打ち方、まあ大雑把になったというか荒くなった。

日本の近代史に影響を与えた?大震災

あれは1920年代ですが、僕が生まれたのは37年で、その頃の日本はもう戦争に入る直前で所謂軍国主義の時代になってる。そういうことに対して、震災のような直に目で見てしまったような人たちは、あれでも何とかなったんだからっていう、何というかそういう乱暴な気持ちですね。それがかなり日本の近代史に影響したんじゃないかっていう想像してるんです。

だから次も打つで荒っぽくなる可能性は十分ある。それじゃどういう状況が望ましいのか、今から考えていても遅くはない。そういった災害の後の復興は、理想的な状態にできれば近づけるっていう復興であってほしいな。つまり日本という国は天災は防げないとこですから、必ず何度もあるはずでそういう状況でも大丈夫っていう国づくり社会づくりをしないといけない。

日常性の維持の大切さ

そういうことを考えて最初に申し上げたように、非常に大切なのは日常性を維持するということですね。普通の生活をどうやったら維持できるか?「有難い」って言葉は随分面白い言葉だと思います。虫取ってるとよく分かるんですけど、どうしてもみんな珍しい虫を取りたがる。有難いですよ、その方が。あることが困難だ、あることが難しい、有難いんですね。

本当に “有難い” こと、とは?

ところが日常生活は一向に有難くない。ただ壊れてみると “有難い” ってことがやっと分かる。そういう価値観の持たせ方って結構難しいなって。毎日がいつものように動かない経験は災害でないと、まあコロナが典型でしたけど。友達に会うこともできないっていう。そういう風な状況が有難いっていう状況がそれ以前には想像できない。だから虫取りでも、どうしても珍しい虫を探す。私はもうこういう歳でこういう考えですから、結局探しているのはどこにでもいる虫です。するとそういう虫を集める人からバカにされるんです。どこにでもいる虫がちゃんと捕まると安心している。

これが日常ですね、正に有難くはないんですけど。今世界中がおそらくそういうこと、世界中の人が感じてるんじゃないかなって気がする。戦争のニュース見て、それ自身がけしからんとか反対と言うのはそれはそれであるんですけど。何よりも問題なのは、そこで日常が壊れているっていうね。日常が壊れると常識が変わってしまいますから、日常を戻すにはどうするか?その戻すべき日常ってどういう日常か?これから起こる災害に対してその後の社会はどんな風につくっていくべきか?っていう。

ひとりでに

ある種の空気ができないかな?と思ってる。日本流に言うと “ひとりでに” ってことだと僕は思ってる。ひとりでに収まっていくような社会っていうのをつくる。そのことを仕方がないから言葉にして喋っている。まあ恐らく自然災害がくると、なんかちょっと無理してなたっていう感じが自然に戻ってくるんじゃないかと思っている。みんなが特別な努力することなしに、ひとりでに、楽に暮らしていけるって世界はどういう世界かと?真面目に考えた方が良いんじゃないか?と。

あとがき

この記事をアップしてから半年くらいが経った頃、日本のインフレについて調べていて偶然目にした渡辺努さんの著書『世界インフレの謎』の第4章の部分に、経済物理学/理論物理学者のディディエ・ソネット教授とのやり取りに、養老さんが話していたことと重なる部分があったので引用してご紹介します。

日本も遂にインフレの再来、今こそ堅実な資産運用を身に付けよう

日本は世界でも有数の地震大国で、過去に何度も大きな地震に見舞われ、そのたびに社会がリセットされてきた。」私の共同研究者で、地震学者/経済学者の二刀流でもある、ディディエ・ソネット教授は、チューリヒのキャンパス近くの小さなレストランで彼の仮説を説明してくれました。

日本人はなぜわざわざ不安定な地盤を選んで国を作ったのかという、私の素朴な疑問に対する彼の回答でした。「社会がリセットされる」とは、その社会を形作る様々な既得権益と、その社会の「当たり前」がいったんご破算になると言う意味です。

日本は地震と言う外生的な力により社会のリセットを定期的に行うことができ、それが社会を前に進める原動力となった、これが彼の言いたかったことです。

これに対して、彼の母国であるフランスのように自然災害の少ない国は、外生的なリセットに頼れない。だから人為的な (内政的な) リセットの仕組みとして、革命のような大掛かりな社会的イベントが必要になると言うように彼の話が続きます。

彼の説に100%同意と言うわけではありませんが、物価を取り巻く「当たり前」を内政的に壊すことができなかった私たちの社会が、ウイルスと言う、外生的な力に頼ろうとするのは必ずしも偶然では無いのかもしれません。

私たちは、価格と賃金が凍り付いている社会に住み、それが私たちの当たり前になっています。だから日々の生活をする中で、そのことを意識することすらありません。しかし社会が違えば「当たり前」も違います。

日本は大きな地震に見舞われ、そのたびに社会がリセットされてきた。というの視点は非常に重要なポイントを抑えていると思います。今世界は再び、民主主義 (アメリカ) vs 独裁主義 (中国) という構図の元、危機が燻っているように思います。

ここに至るまでにはアメリカの自由貿易からの離脱、半導体戦争、ブロック経済という経緯を辿り、その前哨戦とも捉えることのできる、ウクライナ (アメリカが支援) vs ロシア (中国が支援) の戦争が続いています。

物事の大局観を捉えるとすれば、台湾有事が次の危機として起こるかもしれません。そうなれば必然的に日本も巻き込まれることになるでしょう。しかし残念ながら、この国にその準備はできていません。2022年の年末に、タモリが徹子の部屋で、「もはや戦前」という発言がひとり歩きしましたが、大局観を持っている人間は既にその兆候を捉えています。

日本人は常に足元から揺さぶられてきました。そして内政的に変わることのできない日本は、常に外生的な要因から変わってきたという歴史を今一度見つめ直す時が来ています。

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