Zoomy

【深夜便】山本學さん、認知症と共に生きる姿勢

【深夜便】山本學さん、認知症と共に生きる姿勢

俳優の山本學さんが、2024年1月9日(火)の午前4時台に放送されたNHKラジオ深夜便「出会いの宝箱」に出演しました。きき手には迎康子さんを迎えています。このラジオの内容を一部、リスニングで書き起こしましたのでご紹介します。

現在87歳を迎えた學さん

學さんは、現在一人暮らしで、2024年の年明けは体調不良により寝て過ごしたと言います。自分はそんなに歳を意識していなかったが、医者が遠回しに言うように、自分の体が87だということを思い知りなさいということを教えられたと話します。

今回の深夜便では、認知症について學さん取り組んでいくことを中心に話ています。學さんは、去年2月にも深夜便に出演し、自分が軽度の認知症になったという話をしています。見えないものが見える、幻視が見えるなど。

僕は認知症なんて考えてもいなかったんです

幻視っていうのは、僕は認知症なんて考えてもいなかったんです。幻視っていうのはいろんな見え方がするんですけど、綺麗な花が見えたり、トランプの模様があったり、僕は迷路みたいな図形が壁一面に出てくることから始まって。親父がアルツハイマーだったもんで、脳のことに非常に興味があって色々と話してて、そしたら医者の診断を受けてくださいと。

その時に初めて、「えっ」脳外科だと思ってたら、脳の生理学的な問題だと思ってたから、そしたら科が精神科なんですよね。精神科医の話を聞いて認知症とか老人病とかそういう風になるので、精神科医へ最初行ったんですね。

だから幻視が最初出てきた時に、ああ、これは幻視って症状ひゃないかなって、幻視っていうのは認知症でもアルツハイマー型じゃなくて、レビー小体型っていう別なタンパク質が、脳の溜まる部位が違うんですけど、運動野の方に溜まって障害が出てくる。

アルツハイマー型の認知症

脳の一つとして認知症の幻視って症状があるんですけど、僕は東京都で誰か精神科のお医者さんいないかと、で今ばくが通っているお茶の水のクリニックへ通って行ってるんですけど。

今は検査の仕方もMRIっていう画像診断が出てきて、それから変形して脳の血流の中に放射性物質を入れて不特定のうの血流が良いとか悪いとか、診断方法が広がってえてきて、生意気にレビー小体型だと思って、幻視が見えますと言ったら、がくさんどうもレビー小体じゃなくて、アルツハイマー型の認知症があると考えていますと。

診断書にもアルツハイマー型認知症って書いてないんですよね、軽度認知症って言って、アルツハイマー型の認知症があるものと考えるというような。

認知症というのは色んなことがあるのですが、それを認定するのは、ちゃんとした精神科医で生理学的な思考を持ってる方でないと、できないんだっていうことは、僕にも分かって。

認知症がどこまで進んだか?考えながら生きていかなきゃいけない

医者は87歳と、歳のことを言う。認知症がどこまで進んだか?考えながら生きていかなきゃいけない。考えるというよりも、現実、自分の体が87歳ということを思い知りなさいということを思い知らされた。

認知症は軽度から重度に移るのがゆっくりじゃないんです

認知症の注射ができて、保険適用もできるようになってっていって、認知症の治療薬をアメリカの会社が出して、アメリカと共同で作って、だからまだほやほや。

認知症は軽度から重度に移るのがゆっくりじゃないんですよね。5年〜6年、軽度の物忘れだとかやれ、怒りっぽくなったとか、そういう日常と違う変化が起こって、ある時からストンと、「あんた誰?」に移行するのが早いんです。だから、あなたの場合はこのくらいだから、あとは何ヶ月ですよ、なんて事は言えないですね。値が出ないから。

生活習慣を変える、食べ物を変える、睡眠をよく取る

ですから、そういう軽度の認知症で血流が悪いのでしたら、今はまだ薬に頼るよりも、生活習慣を変える、食べ物を変える、睡眠をよく取るというこの3つの生活習慣病として、認知症を眺めて、そこで生活を変えて対処すると。食べ物もすごく大事だし、睡眠ってのはすごく大事なんですね。

そこで睡眠取るためには運動しなきゃダメだとか、アメリカなんかは運動を先にさせるんですね、UCLAとか色んな大学の研究機関だと。認知症的なあれが出てきたときには、運動をともかく定期的な運動をさせる。

僕もクリニックにある、一日に午前中2時間、午後2時間色んな運動とか音楽とか芸術とか、試行錯誤のあれとか、神経を逆に使ったり、グーチョキパーを逆にやるとか、色々な脳に刺激を与える授業をきちんと出て運動をきちんとして、やっぱりあの生活をきちんとする以外進行を止めさせることはできない。

諦めてそのまま待つか、抵抗して頑張るか

だから認知症という症状が出てきたら、諦めてそのまま待つか、抵抗して5年ぐらい頑張って、5年でボケちゃうところが10年持って、要するに若年性の色んな認知症ってあるんですけど、大体65歳以上からパーセンテージが増えて、70代になったら何パーセント、80代になったら何パーセントになるんですけど、僕がだから、今どれくらいかな、と。

今年になって、令和4年ですから、今年が令和6年ですから、もう2年経ってそろそろ次の段階になるのかな?それはどういうことなのかな?と、自分をともかく医者の目で見ながら過ごしてます。

物事をきちっと始めたら最後までやる

やっぱりあの、物事をきちっと始めたら最後までやる。そう言うことじゃなくて、昔を思うと途中で本読んでても、あの本どうだったかな?あの本のここにあの本のここがあったなとか、元の本を忘れちゃって、そう言うような物事が完結しないで終わることが多かった。今は、ご飯を作り始めたら、鍋を焦がさないように、一人暮らしですからどうしてもなめこおろしが多くて。

生活の基準を変えなきゃいけないんだったら、一つ事を始めたら一つことが片付くまで最後までやり通して、次のことをやろう。そう言う決心をして、本読み始めたらここまでを読んで、ご飯をつくり出したら、食べて片付けるまでをちゃんとやる。

きちんと自分を見つめて、生活習慣の中で、きちっと道筋を立てていく

認知症ってそういうもの何ですよ。きちんと自分を見つめて、生活習慣の中で、きちっと道筋を立てていかないと、あっちもこっちもダラダラやってると何にもしないことになってしまう。効果があるんですかね、慣れてはいけない。

考えながら、この後何をするのか?

見て、きちんと味付けをしなきゃいけないとか、買い物に行ってもいつも同じもの買わない、何があるか、今何があるんだろうってことを、見るようになりましたよ。前は後はもうこうしようと、先のこと考えてそれだけそればっかり。だから友達は「お前毎日同じもん食って大丈夫なの?」って言われますけど、割合僕はそういうこと平気なんですね。

でも、毎日同じって言ったって、「お前さん、味は毎日違うよって。」今日はしょっぱいもの欲しいなとか、今日は味がない方が良いなとか、そういうことと話合うことが、今の俺の生活なんだよって友達に言うですけど、そうか一人だとそう言うこと考えるのか?と。

俺なんかカミさんにやってもらうから、それはそれで幸せで良いじゃないかと。

人の生き方よりも自分で自分の生き方考える方が面白い

みなさん今、終いのあれだとか、生き方とか、色んな人の生き方があるけど、人の生き方よりも自分で自分の生き方考える方が面白いんじゃなかな?という風に思いますけど。それで狭くてもそれで良いじゃないかと。ただコロナの籠りが3年間ですか。真面目に籠りましたからね。

ああゆうことも影響してるんでしょうね、でもそれはそういう時代だったから、コロナでそこで人間の進歩が抑えられて、違う形に発展していく契機にはなったんでしょうけど。老いというのは難しいけど、考えようによっては面白い域じゃないでしょうか。

自分を客観的に見つめてどうあるべきか?

認知症ってそういうものなんですよ。きちんと自分を見つめて生活習慣の中で、きちっと道筋を立てていかないと、あっちもこっちもだらだらやってると、何にもやらないことになって、結局のうへの刺激が届かなくなる。

そういうことが大事なんじゃないかと。生活の中で自分が何を食べたとか、そして生きてく上で何を食べて、本当に動物に帰るというか、人間に帰るというか、アルツハイマーというのはある意味で文明病なんですね。動物的なあれから離れて老けていくと、その中で生活習慣で脳への刺激が届かなくなっていく。

これから脳の生活っていうのが、もっとやっと薬ができってことですから。これから今70代の人は知恵を働かせて生き方を変えて楽しい人生を送られた方が良いかなと思います。

それと向かい合うしか生活がないですから

認知症というのの生理学的な側面をもっと極めて知りたいなと。だってそれ (認知症) と向かい合うしか生活がないですから。ここで芝居を僕が作って、みんな集めてそれをやるかって言っても、もうそういう力がないわけですから。そういう自分をどう認識するかっていうのを、改めて認知症に教えられているというか。

自分見つめるというのは、ある意味怖いような部分もあると思いますど、もうそれを超えているんでしょうかね?

自分で自分と対話することが多くなりましたよ。独り言も多くなるし、でのやっぱり、僕は本来は人間は環境が大事で、環境によって人間は作られていくってことだから、こういう風にうちにこもってやっていくと同時に、もう少しこう外に出ていくことを、コロナの籠りから解放されて、もっと外に出ていくことを考えなきゃいけないかなと、 3/1 くらい考えています。

認知症についてもお話する機会も増えた

役者だと肉体感覚を常に反芻する習慣があるんですよね、怒ってりるとき、俺はこんな風に怒っていると。こういう時に手がこうなって目がこうなって、反芻する生理学的な習慣があるんですけど、それをみなさんに進めてるんですよね。

自分をもうちょっと見つめて、ああだるいって言うと、どうだるいの、足がだるいの頭がだるいの、そういう風に突き詰めて観察して生きていくって言うか、そんなことお酒の好きな人、僕は胃をとったので、酒が飲めなくなったからそう言う風になったのかもしれないけど。

色んな生き方があって良いじゃないですか。