2025年7月31日、AbbVie が Gilgamesh Pharmaceuticals (ギルガメッシュ・ファーマシューティカルズ) を買収交渉中であることが、ブルームバーグによって報道されました。
AbbVie is in talks to acquire mental health therapeutics company Gilgamesh Pharmaceuticals in a deal highlighting growing takeover interest in the sector https://t.co/K18v3XvKoT
— Bloomberg (@business) July 30, 2025
大手バイオ企業の AbbVie は、約10億ドル相当の取引で非上場のメンタルヘルス治療薬を開発するバイオ企業 Gilgamesh を買収する交渉に入っているという。
Gilgamesh Pharmaceuticals は、精神疾患に対する次世代サイケデリクスを開発する米国のバイオテック企業で、特にうつ病、不安障害、PTSD などに焦点を当てています。
パイプラインは、大うつ病性障害(MDD)治療薬の「GM-1020」はフェーズ2準備中、うつ病、不安障害を対象とした「GM-2505」はフェーズ1の臨床試験中という前臨床のバイオ企業です。
AbbVie は、2024年5月13日に Gilgamesh と、精神疾患の次世代治療薬開発に関する提携およびライセンスオプション契約を発表していました。
また、今年5月下旬には、Gilgamesh が開発中の「GM-2505(5-HT2A受容体パーシャルアゴニスト)」が、うつ病患者を対象としたフェーズ2a臨床試験において、29日後に94%という高い寛解率を示したことが発表されています。
Gilgamesh のパイプライン
プログラム名 | 対象疾患 | 作用機序 / タイプ | フェーズ | 特徴 |
---|---|---|---|---|
GM-1020 | 大うつ病性障害(MDD) | NMDA受容体アンタゴニスト(ケタミン類似) | フェーズ1(完了)→ フェーズ2準備中 | 非解離性ケタミン、即効性が期待される |
GM-2505 | うつ病、不安障害 | セロトニン受容体(5-HT2A)パーシャルアゴニスト | フェーズ1(2023年後半開始) | 従来のサイケデリクスより短時間作用・可制御性を狙う |
その他プレ臨床化合物 | PTSD、不安障害など | 非幻覚性のサイケデリクス類似薬 | 前臨床 | 中枢神経副作用の少ない設計 |
メインとなる「GM-1020」はすでに フェーズ1試験を完了。今後はMDDを対象に フェーズ2試験が計画されています。
続く「GM-2505」は フェーズ1開始済み(2023年後半開始)。短時間作用型の5-HT2Aモジュレーターとして注目されています。他のプログラムはプレ臨床段階。
非上場 Gilgamesh 買収の背景
なぜ大手バイオ企業 AbbVie は、非上場でまだフェーズ1段階の Gilgamesh を買収しようとしているのでしょうか?上場企業にもいくつかのサイケデリック医薬品を手がける臨床段階のバイオ企業が多数あります。
その背景には、Gilgamesh の科学的アプローチが「第2世代」的で制御しやすいことにあります。Gilgamesh の開発する薬は、従来の幻覚を伴うサイケデリクス(例:psilocybin, LSD)ではなく、非幻覚性または短時間作用型を目指しています。
・患者が医療機関で何時間もモニタリングされる必要がなくなる
・保険償還が現実的になる(従来のサイケデリクスは医療経済的に導入困難)
・精神依存やバッドトリップといった安全性の懸念を回避
つまり “幻覚なきサイケデリクス” は、大手製薬企業にとって導入ハードルが低く、商業化に直結しやすいのです。
従来型のサイケデリクス治療では、患者が強い幻覚作用を体験するため、その間は医療従事者による数時間のモニタリングが必要不可欠です。1回の投与で6時間以上にわたる付き添いを要するケースも多く、施設や人員にかかる負担は非常に大きいものとなっています。
これに対し、Gilgamesh の薬剤は幻覚作用を抑え、なおかつ作用時間を短縮することを目指しているため、患者の拘束時間を大幅に短縮でき、医療機関のオペレーションも格段に効率化されます。
次に、保険償還の可能性についてです。従来のサイケデリクス療法は医療経済的に高コストであり、多くの国や保険制度では現実的な治療選択肢として採用されづらい状況があります。
しかし、Gilgamesh のような短時間作用型・非幻覚性の薬剤は、一般的な外来診療の枠組みでも導入が可能になるため、保険償還の対象となる可能性が高まります。これは患者アクセスを拡大するうえでも大きな利点です。
さらに、幻覚作用がないという点は、安全性においても大きなメリットをもたらします。
従来のサイケデリクスでは、いわゆる「バッドトリップ」と呼ばれる不快な体験や、精神的不安定を引き起こすリスクが存在し、精神疾患を持つ患者にとっては重大な副作用となる可能性があります。
また、長時間にわたる幻覚体験による精神依存や誤用のリスクも課題とされてきました。Gilgamesh の非幻覚性設計は、こうした懸念を回避し、より安全で予測可能な治療介入を可能にします。
このように、「幻覚なきサイケデリクス」という新しいアプローチは、従来のサイケデリクスに伴う医療的・社会的課題を回避しながら、同等あるいはそれ以上の治療効果を目指すものです。
このコンセプトは、大手製薬企業にとって極めて魅力的であり、導入障壁が低く、商業化にも直結しやすいため、Gilgamesh が注目を集める背景となっています。
上場企業よりも割安・独自技術への独占的アクセスが得られる
上場済みのサイケデリクス企業に比べて、Gilgamesh のような非上場企業を買収対象とすることには、製薬大手にとって複数の戦略的メリットがあります。
まず、上場企業はその性質上、多数の株主によって支配されており、買収には多額のプレミアム(株価に上乗せされた対価)が求められます。
たとえば、Compass Pathways(ティッカー:$CMPS)のような企業を買収する場合、既存の株主の同意を得る必要があり、経営陣だけで意思決定を完結できないため、交渉が長期化・複雑化しがちです。
さらに、上場バイオ企業のパイプラインは多くの場合、他社との共同開発や提携によって共有されている知的財産(IP)が含まれており、買収後に製薬企業が完全な自由裁量で活用することが困難になるケースがあります。
たとえば、Compass が開発する「psilocybin」は、複数のアカデミック機関や研究者との知財共有が存在するため、製品を独占的にコントロールするのが難しいという課題があります。
一方で、Gilgamesh のような非上場企業は、所有構造がシンプルで、開発中の化合物やプラットフォーム技術を一括で取得しやすいのが魅力です。知的財産の所有権も明確で、共同開発のしがらみが少ないため、買収後の事業展開において制限が少ないことが大きな利点となります。
また、買収交渉においても、交渉相手は主に創業者、経営陣、そして数社のベンチャーキャピタル(VC)に限られているため、意思決定が迅速かつ柔軟です。
経営陣が株式の大部分を保有していることも多く、買収条件の提示から合意までが短期間で進行しやすい傾向にあります。
加えて、Gilgamesh はまだ臨床初期段階(フェーズ1)ではあるものの、革新的なメカニズムを有する非幻覚性サイケデリクスやNMDAアンタゴニストのパイプラインを保有しており、特許構造(IP)の質が高いと判断されれば、たとえ収益を生んでいなくても、過去のシリーズB資金調達額の数倍の評価額で買収されることも合理的と見なされます。
このように、コスト効率、独占性、スピード、柔軟性といった観点で、非上場企業の Gilgamesh をターゲットとすることは、上場企業を買収するよりも投資リスクと商業的制約が少なく、長期的な収益性を見込める選択肢となり得るのです。
NMDAアンタゴニスト(GM-1020)という領域への戦略的アクセス
Gilgamesh の「GM-1020」は非解離性ケタミン様薬であり、これは AbbVie が現在持っていない CNS 領域です。
・Johnson & Johnson は「Spravato(エスケタミン)」で先行し、うつ病における新機軸を築いた
・AbbVie としては、自社の精神疾患ポートフォリオ(Vraylar など)に次ぐ柱が必要
・Gilgamesh のような即効性+非幻覚性の薬は、J&J や Biogen、Otsuka などとの差別化ポイントになる
Gilgamesh の中核パイプラインである「GM-1020」は、非解離性のNMDA受容体アンタゴニストであり、ケタミン様の抗うつ効果を持ちながらも、解離作用(dissociation)や幻覚作用といった副作用を極力抑えた新しいタイプの抗うつ薬です。
この分子が持つ特性は、AbbVie にとって戦略的に極めて重要な意味を持ちます。まず、現在うつ病治療において最も注目されている薬剤のひとつが、Johnson & Johnson(J&J)が開発した「Spravato(エスケタミン)」です。
「Spravato」は、NMDA受容体アンタゴニストであるケタミンのS-エナンチオマーで、即効性の抗うつ効果が臨床的に証明されています。この薬剤は、大うつ病性障害(MDD)の中でも治療抵抗性うつ(TRD)に対して画期的な成果を上げた一方で、解離症状や幻覚作用といった副作用のために投与時の医療監視が不可欠であり、医療経済面や実運用上の制約が大きいという課題も抱えています。
一方、AbbVie は現在 CNS(中枢神経系)領域で「Vraylar(カルイプラジン)」を保有しており、双極性障害や統合失調症、MDDの補助療法として販売しています。
しかし、「Vraylar」はドーパミンD2/D3受容体作動薬であり、NMDA経路に作用する薬剤はポートフォリオに含まれていません。したがって、AbbVie にとってNMDAアンタゴニストという作用機序は未開拓であり、他社との差別化を可能にする新領域となります。
ここで Gilgamesh の「GM-1020」が持つ意義が浮き彫りになります。「GM-1020」は、ケタミンのように即効性のある抗うつ効果を持ちつつ、解離や幻覚作用を抑えた非解離性設計であり、「Spravato」の長所を維持しつつ短所を克服することを目指しています。
もしこの設計が臨床で有効性と安全性を示せば、J&J の「Spravato」や Otsuka/Biogen の共同開発プログラムなどとは一線を画す「次世代NMDAモジュレーター」として、AbbVie に新たな中枢神経領域の柱を提供する可能性があります。
さらに、近年の製薬業界では「即効性抗うつ薬」への期待が高まっており、従来のSSRIやSNRIでは得られないスピード感と治療効果を持つ薬剤が求められています。
この流れの中で、非幻覚性かつ迅速に効果を発揮する NMDAアンタゴニストは、まさに次の商業的成長市場と見なされています。
要するに、Gilgamesh の「GM-1020」は単なる新薬候補ではなく、AbbVie が持っていない重要な作用経路への戦略的アクセス手段であり、精神疾患治療の新たなステージに踏み出すための「知的財産と科学的基盤のセット」として極めて魅力的なのです。
これが、AbbVie がフェーズ1段階の企業である Gilgamesh に早期から強い関心を示している理由の一つです。
長期的には「サイケデリクス」の形をした “非サイケ” 薬が主流になると読む先見性
近年のサイケデリクス研究の進展により、幻覚作用そのものが治療効果に必須ではないのではないかという仮説が、科学界および製薬業界で注目を集めています。
この見方は、サイケデリクスを「意識変容のための体験型治療」から、「分子機構に基づく医薬品」として再定義しようとする動きであり、Gilgamesh のような企業がその最前線に立っています。
まず、従来のサイケデリクス療法では、幻覚体験や「エゴの解体(ego dissolution)」といった意識変容そのものが、治療効果に深く関わっていると考えられてきました。
実際、psilocybin や LSD を用いた臨床研究では、被験者の体験内容と治療効果に一定の相関が報告されています。
しかし近年、Delix Therapeutics などの非上場企業による前臨床研究により、幻覚作用を引き起こさないサイケデリクス類似化合物(通称:non-hallucinogenic psychoplastogens)でも、脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現増加やシナプス可塑性の促進など、治療に有効な神経生物学的効果が得られることが示されています。
つまり、「幻覚なしでも治る可能性がある」ということが、徐々にエビデンスベースで裏付けられつつあるのです。このトレンドに対し、大手製薬企業は極めて敏感です。
幻覚作用を伴う薬剤は、
・精神的リスク(不安発作、バッドトリップ)
・医療施設での長時間モニタリングの必要性
・社会的・規制的懸念(ドラッグとの混同、誤用リスク)
といったハードルの高い要素を多く含んでおり、商業化の障壁が非常に大きいのが実情です。そのため、大手が本格参入するには「非幻覚性でありながらサイケデリクス様の効果を示す薬剤」の登場が鍵とされてきました。
この文脈で、Gilgamesh は非常に注目される存在です。同社は設立当初から、幻覚作用を切り離した新しいタイプの神経可塑性促進薬(psychoplastogen)の開発に注力しており、複数の非幻覚性化合物に関して実際に臨床試験段階まで進めている数少ない企業のひとつです。
たとえば、同社の「GM-1020」や「GM-2505」は、まさにこのビジョンに沿ったプロジェクトであり、単なる構想ではなく有効性・安全性データの蓄積が進行中です。
要するに、Gilgamesh の戦略は単なる「サイケデリクスの改良版」ではなく、サイケデリクスの構造や機序を参考にしつつも、医薬品としての実用性・安全性を最大限に高めた新規治療薬を創出することにあります。
そしてこの先見性こそが、業界大手(AbbVie など)が早期に注目し、臨床初期段階からでも買収を検討する根拠となっているのです。