デジタル資産業界のベテランであるロバート・ベンチ氏が語るステーブルコインの過去、現在、そして未来は、金融のあり方を根本から変える可能性を秘めています。
Circle での USDC 立ち上げから、米連邦準備制度(FRB)での中央銀行デジタル通貨(CBDC)研究、そして現在は自らが立ち上げた Radius での挑戦まで、彼の視点から見えてくるステーブルコインの全貌を紐解いていきましょう。
ステーブルコインの黎明期と進化の「第1フェーズ」実用性の追求
ロバート・ベンチ氏が Circle に参画した頃、デジタル資産市場では迅速なドル移動が大きな課題でした。特に週末など銀行が機能しない時間帯には、ビットコインなどの大量購入において為替や決済の遅延が頻繁に発生していました。
この問題を最初に解決したのは Tether でした。Circle はこれに対し、「もっと安全で透明性の高い方法があるはずだ」というビジョンを掲げ、USDC を立ち上げました。
会計事務所による裏付け資産の確認証明や、規制に準拠した資金保管場所の重視、そして悪質な資金の「リモートバーン(遠隔焼却)」といった機能は、当時としては画期的な試みでした。
しかし、その革新性にもかかわらず、送金手段としてのステーブルコイン市場では Tether が圧倒的なシェアを維持し、特に Tron チェーン上の Tether は市場の90%以上を占めています。
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これは、規制準拠よりも「とにかく機能する」という実用性が市場で評価された証拠と言えるでしょう。
ステーブルコインの「第2フェーズ」DeFi から国際送金へ
Circle が次に注目したのは、ステーブルコインの持つ「プログラム性」でした。Mzero の創業者兼CEOであるジョエル・レガナド氏のリードのもと、Circle は Tether が対応していなかった DeFi(分散型金融)領域に USDC を適応させ、その歴史的な瞬間を迎えました。
Coinbase もこの取り組みに加わり、USDC は DeFi エコシステムにおける主要なステーブルコインとしての地位を確立していきます。
ステーブルコイン活用の「第3フェーズ」国際送金(リミッタンス)への挑戦
政権交代後、Circle はさらに「非暗号・現実世界の問題」への応用へと焦点を移します。それがステーブルコイン活用の「第3フェーズ」、国際送金(リミッタンス)への挑戦です。
送金手数料の高さは長年の課題であり、特に最も経済的負担を強いられる人々にとって、ステーブルコインは現実的な解決策となり得ることを示しました。取引量としては目立たないかもしれませんが、人々の生活に確かな影響を与えています。
中央銀行デジタル通貨(CBDC)の探求:プロジェクト・ハミルトンの教訓
ロバート・ベンチ氏は、民間ステーブルコインの経験を経て、米ボストン連邦準備銀行で中央銀行デジタル通貨(CBDC)の研究プロジェクト「プロジェクト・ハミルトン」を率いることになります。
このプロジェクトの背景には、中国のデジタル人民元開発の進展がありました。プロジェクトでは、「デジタルな米ドルの形を実現できるか?」「二重支出を防ぎ、セキュアに保てるのか?」といった根本的な技術的課題が探求されました。
ビットコインのセキュリティ技術を応用し、連邦準備制度(FED)が運用することを前提とすることで、毎秒220万件の取引処理を達成する「OpenCDC」と呼ばれるコードベースを構築し、オープンソースとして公開されました。
さらに、プログラマブルなCBDCの可能性を探る「Parseek(パーシーク)」プロジェクトでは、EVM(Ethereum Virtual Machine)をベースに毎秒11万8000件のトランザクション処理を実現しました。
しかし、最終的にリテールCBDCの導入が見送られた最大の理由は、FRB の独立性が脅かされる可能性でした。CBDC が一般ユーザーと直接的な関係を持つことで、FRB の意思決定が政治的な影響を受けやすくなるリスクが懸念されたのです。
商業銀行業界からの「ディスインターミディエーション(仲介機能の排除)」への懸念や、地域銀行保護を巡る左右両派からの異例なまでの合意も、CBDC 導入の障壁となりました。
ステーブルコインとMMF:利回りの課題
ステーブルコインはしばしば、新たな形のマネーマーケットファンド(MMF)と比較されます。FRBのエコノミストも、ステーブルコインの成長が T-Bill やリバースレポ市場に与える影響をモデル化していると言われています。
また、FRB のベテランたちは、ステーブルコインをリスク管理可能な対象として捉えています。しかし、MMFとステーブルコインの大きな違いは「利回りの有無」です。
現行の規制下では、利回りを持つステーブルコインは「証券」とみなされる可能性が高く、特に DeFi での利用を考えると実質的に不可能でした。
このため、現在のステーブルコインは利回りを保有者に還元しない構造になっています。この課題は、ステーブルコインが銀行預金に紐づけられる理由とも密接に関わっています。
ステーブルコインの「第4フェーズ」ステーブルカード時代と次世代インターネット経済
ロバート・ベンチ氏が現在注目しているのは、ステーブルコイン進化の「第4フェーズ」、すなわち「ステーブルカード時代」です。
これは、現在の商取引に課せられている約3.5%の決済手数料(「隠れた税金」)を削減することを目指しています。Stripe のような企業がこの課題に取り組んでおり、銀行、カード会社、POS事業者がそれぞれ徴収する手数料を、ステーブルコインとブロックチェーンネットワークを介することで大幅に削減できる可能性を追求しています。
この「ステーブルカード時代」は、今後18ヶ月以内に本格化するとベンチ氏は予測しています。
Radius の挑戦:インターネットのインセンティブ構造を変える
ロバート・ベンチ氏が創業した Radius は、FRBのプロジェクト・ハミルトンで開発された Parseek コードベースを基盤としています。
その目的は、ステーブルコインの実行を線形にスケールさせ、取引コストを「1ペニーの10万分の1」レベルまで削減することです。
これは、クレジットカード取引コストの削減や決済スピードの向上に留まらず、インターネットのインセンティブ構造そのものを変革する可能性を秘めています。
彼は、Google の AdWords に代表される「広告経済(attention economy)」をインターネットの「原罪」と位置付け、価値の移転をほぼ無料で提供できるステーブルコインが、AIエージェント経済における新たな「共通語」となり、人々の注意を奪い合う現在のインターネットモデルに代わるものになると考えています。
Radius は、直線的にスケーラブルなスマートコントラクト実行ネットワークを構築し、データ、計算処理、推論に自然なマーケットを形成することを目指しています。
これは、AIエージェントが「権限」「許可」「アイデンティティ」を持って価値を移動する世界であり、人々がスマートフォンから解放される未来につながると信じられています。
未来への視点:通貨の標準化と地政学的競争
ロバート・ベンチ氏は、テクノロジーの進化が「人為的な障害」(多くの場合、法律)がなければ標準化に向かう傾向があることを指摘します。
金融テクノロジーも例外ではなく、ネイティブにデジタル化が進めば、流動性の高い特定の経済圏へと通貨が集中し、最終的には世界の通貨が6〜7種類程度に集約されると予測しています。
特に、不安定な経済を持つ国々がより安定したドルへのアクセスを求めることで、西半球の多くの国々がドル化する可能性を示唆しています。
一方で、中国のデジタル人民元(ECNY)がすでに他の中央銀行のバックエンドコードに組み込まれているなど、中国が非対称的なアプローチで通貨を輸出している現状にも警鐘を鳴らします。
この未来において、USDステーブルコインがその役割を果たせなければ、中国がその空白を埋める可能性があり、これは世界の経済秩序に大きな影響を与えるでしょう。
ベンチ氏は、アメリカが自国の金融システムを世界に輸出する能力を制限してきた現状を変え、ドルを基盤としたステーブルコインモデルが新たなインターネットの「共通語」となる未来を強く望んでいます。
ステーブルコインは、単なる暗号資産の一種に留まらず、既存の金融システムに挑戦し、新たな経済モデルを構築する可能性を秘めた技術です。その進化はまだ始まったばかりであり、今後の動向から目が離せません。
ステーブルコイン規制法案が上院可決
早速アメリカでは、2025年6月17日にステーブルコイン規制法案(GENIUS Act)が上院可決され、連邦議会上院で初めてドル連動ステーブルコインの包括的な規制枠組みが成立しました。
このGENIUS法の可決は、ステーブルコインを合法的な金融インフラへと昇華し、暗号資産の主流化を促す大きな一歩となります。この法案を可決されたことで、市場では Visa、PayPal、Mastercard の株価が下落しました。
その背景には、ステーブルコインの普及が従来の決済大手にとって脅威とみなされたためです。
GENIUS法はステーブルコインの規制枠組みを明確化し、発行・使用・保管を合法化。これにより、ステーブルコインが「インターネットのマネーレール」として決済手段の主流になる可能性が高まったと市場が判断したためです。
Visa や Mastercard、PayPal のような既存の決済プラットフォームは、手数料収入(例:カード手数料1-3%)が減少するリスクに直面します。
法案可決を前には、Walmart や Amazon などの大手小売業者が独自のステーブルコイン導入を検討しているとの報道もありました。これらの企業がステーブルコインを採用すれば、決済手数料を大幅に削減でき、PayPal や Mastercard を経由しない支払いルートが増える可能性があります。
一方で、ステーブルコイン関連企業 Coinbase、IPO したばかりの Circle などの株価は急騰しています。