Sanofi (サノフィ) が Vigil Neuroscience (ヴィジル・ニューロサイエンス) を買収したことが2025年5月21日に発表されました。これで Sanofi は、神経領域のパイプラインにアルツハイマー病治療の新治験薬を追加したことになります。
買収ディール
Sanofi は Vigil Neuroscience を1株あたり8ドルで買収。企業価値は4億7,000万ドル(前払い)+ CVR (条件付き価値権利) として上市成功時に最大2ドルの支払いで合意しました。今の厳しい市場環境では、これはなかなかの好条件です。
特にアーリーステージの投資家にとっては上出来な “出口” になりました。
買収契約の CVR とは?
CVR(Contingent Value Right:条件付き価値権利)とは、M&Aの取引で使われる「成果報酬型の対価構造」です。買収時に一定の現金や株式を支払う「基本対価」に加えて、特定の条件(マイルストン)を満たした場合に、売り手側が追加でもらえる報酬です。
2025年の臨床バイオ企業は、CVR での買収が多いのでトレンドを確認しておきましょう。
ターゲットとなったパイプライン「VG-3927」
今回の Sanofi の買収ターゲットになったのは、Vigil Neuroscience のパイプラインが「VG-3927」です。「VG-3927」は、初の経口 TREM2 アゴニストで、現在アルツハイマー病を対象とした第2相試験に向け準備中でした。
つまりフェーズ1が終わった段階での買収となりました。TREM2 は、炎症、ミクログリア活性、神経変性、この3つの交差点に位置する重要ターゲットです。
・「VG-3927」経口TREM2アゴニスト(アルツハイマー病向け)
「VG-3927」の作用機序は、ミクログリア上のTREM2受容体を活性化する経口投与可能な小分子アゴニストで、神経保護機能の強化を目指しています。
臨床フェーズは、第1相試験を完了し、第2相試験への移行準備中 (2025年第3四半期に、アルツハイマー病患者を対象とした第2相試験を開始予定)。
2025年1月発表された第1相試験の結果は、良好な安全性プロファイルが確認され、重篤な有害事象は報告されませんでした。薬物動態(PK)と薬力学(PD)では、中枢神経系への高い浸透性と予測可能なPKプロファイルが示され、1日1回の投与が可能とされました。
バイオマーカーの変化としては、脳脊髄液中の可溶性TREM2(sTREM2)レベルが最大約50%減少し、TREM2活性化の証拠が得られました。
パイプラインの戦略的意義
Vigil Neuroscience のパイプラインは、ミクログリアの機能不全が関与する神経変性疾患に対する新たな治療法の開発を目指しており、特にTREM2を標的としたアプローチに注力しています。
「VG-3927」は、経口投与可能な小分子アゴニストとして、既存の抗体療法とは異なるメカニズムでTREM2を活性化し、アルツハイマー病などの治療に新たな可能性を提供することが期待されています。
この領域は激ムズ
しかし神経領域の治療薬の開発は、とても困難で、今年だけでも多くの神経領域の治療薬を開発する臨床段階のバイオ企業が失敗しています。
Vigil Neuroscience のパイプライン「VG-3927」の開発も他社と同様に、以下の点から非常に難しいと思います。
– TREM2抗体プログラムは過去に何度も失敗してきた
– 生物学的には魅力的だが、リスクはまだ高い
– 今回は抗体ではなく、経口小分子のアゴニズムという新領域
TREM2 をターゲットとして治療薬の開発は、以前 Alector (ALEC) が TREM2 同様の免疫系モジュレーター(INFR-05等)を開発していましたが、治験失敗・パートナー離脱により株価は大幅下落しました。
そのため、TREM2 = ネガティブと見なす投資家も多いです。Sanofi は Alector の失敗にも関わらず、Vigil Neuroscience の独自データと構造(皮下注、自己投与、長期作用型)に着目したのかもしれません。
単なる TREM2 ターゲットではなく、投与利便性・PK/PDプロファイルの差別化が評価された可能性が高いです。プレミアムの大きさは、CNSバイオ全体が過小評価されていた結果とも解釈できます。
Sanofi は、経口薬に賭けた
ではなぜ、Sanofi はこのタイミングで買収に踏み切ったのでしょうか?それは、「経口薬なら成功するのでは?」という賭けに出ている可能性が高いです。
また同社の CNS(中枢神経系)での戦略的ポジションと捉えている可能性が高いでしょう。
Sanofi のM&A実績
Sanofi の過去の買収から見えるのは、買収後に失敗した案件が多いという点です。
– Principia Bio と Ablynx はどちらも失敗
– Kiadis は2024年に事業終了
– Translate Bio は多額のマイルストン契約にも関わらず、今やR&Dから姿を消している
Sanofi 過去の買収案件の共通点としては、次のようなポイントがあります。
– 多くが初期段階または商業化前のアセット
– マイルストン支払いが高額 / しかし、その達成状況は不透明
– 多くがプラットフォーム型や新モダリティに賭けた案件(mRNA、T細胞、CNSなど)
Sanofi、現在の投資状況
Sanofi は、今回買収を発表した Vigil Neuroscience も事前に$40Mの投資をしていました。Vigil 以外にも、現在以下の臨床バイオ企業に投資の種を蒔いています。
企業名 | タイプ | サノフィの関与内容 | 解釈 |
---|---|---|---|
IPHA | がん領域 | $450Mのマイルストン+$15M投資 | 保守的な戦略。成果報酬型の可能性が高い |
VTYX | 炎症疾患 | $27Mの投資 | フェーズ2パーキンソン病データ前の「様子見」投資 |
ANAB | 免疫疾患 | $100M資金調達への参加 | 受動的。データ次第で判断する構え |
NVAX | 感染症ワクチン | $500M前払金+$700Mマイルストン | 積極的な投資。パンデミック対策の一環か |
MGTX | 遺伝子治療 | $30M投資+$30M公募参加 | CNS/眼科領域の遺伝子治療にオプションを持つ意図 |
上記のように、Sanofi は以前に比べてより慎重なアプローチにシフトしているように見えます。「成果連動」や「共同開発」モデルを好んでおり、確実性のあるデータが出てから本格的な買収に踏み切る傾向があります。