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1929年の市場クラッシュは「一発で終わった崩壊」ではなかった

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1929年の市場クラッシュは「一発で終わった崩壊」ではなかった

多くの人は、1929年の株価暴落を「ある日突然すべてが崩れ、そのまま大恐慌に突入した出来事」とイメージしがちです。しかし実際には、そう単純な話ではありませんでした。

1929年の市場のクラッシュを捉えるには、その後の連鎖的な負の連鎖も認識することで、見え方が異なってきます。この記事では、1929年の市場クラッシュのざっくりとしたタイムラインを提示します。

1. 1929年10月〜11月に大暴落

1929年10月〜11月、この時期に株式市場は約50%下落しました。確かに非常に激しい暴落で、多くの投資家に大きな打撃を与えました。

2. それでも年末時点では年間下落率は約17%

意外なことに、1929年末時点で見ると、株価は年間で約17%安にとどまっていました。つまり、「10月の暴落ですべてが完全に終わった」というわけではありませんでした。

3. それでも多くの人が破産した理由

多くの投資家は信用取引(マージン取引)を使って株を買っていました。つまり、借金をして投資していたため、株価が大きく下がった段階で耐えきれず、回復を待つ前に破産してしまったのです。

・自宅を担保に入れる
・家を売る
・他の資産を処分する

といった形で、暴落の初期段階で追い込まれた人が多くいました。

4. 本当の問題は、その後に始まった「連鎖」

株価暴落そのものは、大恐慌の始まりにすぎませんでした。本当の深刻化は、その後に起きた政策判断や金融システムの連鎖的な悪化によって進みました。特に重要だったのは、

・連邦準備制度(FRB)の対応
・フーバー大統領の政策判断
・ワシントンの政治的対応

です。

5. その結果どうなったか?

その後、事態はさらに悪化し、

・1932年には失業率25%
・1935年までに約9000の銀行が破綻

という深刻な状況に至りました。要するに1929年の市場クラッシュは、「暴落そのもの」がすべてではなく、そこから始まった政策ミスと金融不安の連鎖が、本格的な大恐慌を生んだというのが重要なポイントです。

つまり、株価の急落 → レバレッジ投資家の破綻 → 政策対応の失敗 → 銀行破綻・失業増加 → 大恐慌へという流れで理解すると分かりやすいです。

6. 1929年の後、株価はどうなった?

1929年10月の暴落後も、株価はさらに大きく下がりました。以下でダウ指数がどうなったのか?見てみましょう。

・1929年9月3日にダウ平均は 381 でピーク

・1929年10〜11月に急落して、一時 約半値
その後も下げ止まらず

・1932年7月に 41 前後まで下落
つまり、高値から約89%下落しました。

このように、1929年の「ブラック・チューズデー」で全部終わったわけではなく、本当の底は約3年後の1932年です。10月の暴落は始まりにすぎず、その後も景気悪化、銀行不安、政策対応の失敗が重なって、株価はじわじわではなくかなり深く長く沈んでいきました。

ここが重要ですが、1929年末時点では年間で約17%安程度だった一方、その後にさらに大きな下落が続きました。つまり、当時の投資家にとって本当に厳しかったのは、最初の暴落だけでなく、その後の長い下落相場です。

さらに、元の高値水準に戻るまでにも非常に長い時間がかかりました。Britannica によると、ダウ平均が1929年の高値を再び回復したのは 1954年11月です。つまり、名目ベースでも回復まで25年近くかかりました。

全体のざっくりとした流れは以下す

・1929年秋:大暴落

・1930〜1932年:さらに下落

・1932年7月:大底

・1954年:ようやく高値回復

以上のように「1929年で終わり」ではなく、「1929年は長い下落の入口だった」 ということになります。